【人に気を遣いすぎて疲れる】
人に気を使いすぎて疲れるのはなぜでしょうか?
私のところに来られる方で、こういう人はすごく多いです。
その人たちの共通点は
「あなたの本音で生きられない環境にいた」
こと。
例えば・・・・
・両親が不仲だった
・家族の誰かが病気を抱えていたり、
・本人が常に否定されるような
・家族の誰かの関係を取り持たないといけないような環境で育ってきた
・親がうつ傾向だったり
・何かの精神疾患を持っていてそして、いつも相手の様子を伺わないといけなかった
・家族介護をしたりとか兄弟の世話をして自分のこと優先しないで育ってきた。
など。
私の場合は、私自身が虐待される側だったので、人に気を使いすぎて疲れるというよりは、人と関われないというように影響がでていました。こちらの側の人については、また後日書きますね。
上記のような環境にあると、自分よりも他の人を優先することが習慣になっています。
こうなっていることに気づいていないときは、自分がなぜ疲れるのかわからないので、どのような状況の時に疲れるのか話すことで気づいていったり、過去との関連をみていくのが従来のカウンセリングで行われていることです(認知行動療法や、精神分析、分析心理等)。でも、いくら理由がわかっても、疲れる状況は変わらないということになることがよくあります。これが頭でわかっているのに、現実は変わらない、という状態です。
当トラウマリリースでも扱っている、最近のソマティックセラピーでは、疲れている状況そのものを詳細に語るのではなく、その状況で起こっている身体感覚を観察していきます。
身体感覚は、マインドフルネス瞑想をされている方には馴染みがあるかもしれません。
私たちは、思考と感情以外に、いつも体の感覚を感じています。身体感覚を意識しているかしていないか、の違いで、そういうものがあると考えたことがない人もいるかもしれませんね。
感情は、楽しい、嬉しい、腹が立つ、悲しい、寂しい、など、身体感覚より感じやすいです。
身体感覚は、頭痛、腹痛、肩こり、腰痛、怪我、など、ひどい痛みがある場合にしか感じられない人もいるかと思います。実際は常に何らかの感覚が起きています。「何も感じない」、というのも立派な感覚です。
人といて疲れるとき、その人たちと離れて、1人になってから、「あー疲れた」と感じているかもしれませんが、実は人といる時にも何らかの感覚が起きています。
その感覚が快か不快かにかかわらず起きています。
疲れるという時、その場の雰囲気だったり、相手の発言だったり、過去の嫌な記憶が蘇っていたり、自分を押さえ込む感覚だったり、さまざまな出来事の反応で、不快な感覚が起きているからです。
この不快な感覚でさえも、ただ観察し、快の方の感覚も同時にみていけるようになると、自律神経が安定し、以前なら不快だった感覚になる出来事が起きても、気にならなくなっていきます。あるいは、今まで自分を抑えていたこと、そして自分の本心に気づけるようになり、必要なときは、自分を偽らずに表現できるようになっていきます。